変わらないからこそ、分かる成長と変化

編集部の西藤です、

今回は、自分の変化・成長を
『本』を通じて知る、というコラムをお届けします。

変わらないからこそ、見えてくるものがあります。

歌は世につれ、世は歌につれ

といいます。

歌に限らず、この世の森羅万象は互いに影響しあい、
反響しあい、変化、変転、転変してゆきます。

「有為転変」は
往古の文芸『太平記』にも登場する言葉です。

本と読者のあいだにもそうしたレゾナンスは
確かに囁かれているのです。

 
藤子・F・不二雄先生のマンガに
『コロリころげた木の根っ子』という
薄気味悪い作品があります。

cf)http://honz.jp/articles/-/43423

妻に手をあげる横暴な亭主と
それにつき従う従順な妻。

今なら裁判のひとつも起こりそうなシチュエーションですが、
この亭主、妻は自分を愛していればこそ
長年連れ添ってくれているなどと虫のいいことを考えています。

そうした思い込みは最後の最後でぬらりと覆されますが、
結末はご自身で確かめてみるといいでしょう。

 
今書店で中学生の英語教科書を手に取ると、
こんな簡単なものに当時の自分はなぜ苦労したのかと驚きます。

まさか英単語や英文法が日本語に近づいたはずはありませんし、
日本語と英語のあいだにピジン語が生成したのでもありません。

変化したのは英語を読む
「わたし」の頭の中身
でしょう。

中学を卒業して以降、受験や旅行、仕事など
さまざまな場面で蓄えてきた英語の知識との比較で簡単に感じているわけです。
 

変わるもの、変わらないもの

さて、

読書の場合、同じ本を二読、三読するたびに
違う印象を受ける
という話をよく聞きます。

これも英語の教科書と同じです。

変化しているのは本ではなく、本と対峙する読者としての
「わたし」のコンディション
(生活環境や体調、知識の量)。

すると、本来は変化しないはずの文章が
違った意味をもって立ち上がってくるのです。

 
ひとの脳には、過去から現在までの自分の性格や
主義は決して変化しないと思い込む癖があります。

その癖を貫くためには、
最悪、自分の過去の履歴すら書き換えます。

専門的には、一貫性バイアスと呼びます。
認知の歪みです。

加齢で味覚が変わっても
「昔からわたしはセロリが好きだった」と言い張る。

あるいは「昔から辛いものに抵抗はなかった」
なんてことを言い出します。

年をとると味蕾の数が減るから、
苦いものや辛いものに対する抵抗がなくっているのですが、
年取ったことを認めたくないのでしょうかね。

 
本の中身は変化しません。

だからこそ、それを受け止める側の
「わたし」の変化が浮き彫りになります。

電車から眺めるビルは進行方向と逆に流れていきますね。
ビルは動きませんから。

ところが、並走する電車は止まって見えます。

過去から未来へと同じ時間軸を歩む人間の場合にも
お互いは静止して見えます。それだけ変化が見えにくくなる。

 
長く連れ添った夫婦であっても、
相手の心の奥底は見通せません。

心を隠していることもひとつの理由でしょうが、
一緒に変化しているからこそお互いの変化に気付けなくなってしまうのです。

そばに居る他人の変化が分からないのに、
ましてもっと近くに居て一心同体である「わたし」の変化など、
どのようにして知り得ましょう。

遷ろう時間のなかで自分がどのように変化し、
そして今在るのか。

そんなことに気づかせてくれる身近な存在として
本があったりもします。

DNAパブリッシング株式会社
編集部 西藤 太郎

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