積ん読もまた読書のうち

企画編集部の西藤です。

前回は本の読み方が
ひと通りではないことをお伝えしました。

前回の記事はこちら
読み方百景

読みきれないほどの本が手に入る時代

本が一部の特権階級にしか許されていなかった
大昔ならともかく、今は安価に、しかも一生かかっても
読みきれないほどの本が入手できる時代

一冊でも多くの本に触れるため、
速読で読みこなしていく方法があるでしょう。

 
そうかと思えば、一、二冊の本をじっくりと、それも最初からではなく、
気に入ったところだけをつまみ食いのように読んでいく方法もある。

たった一行か二行の文章が
自分の人生を劇的に変えてくれるのならば、
何も読み散らかす必要はない
わけです。
 
今日はこれに加えて、
読書好きには悩ましい『積ん読』という読書についてお話しましょう。
 
わたしが中学生の頃、
本とは、一冊をきちんと読み終えたのちに、
新たなる次の一冊を買い求めるものでした
(まあ、図書館で借りるという方法もあるでしょうが)。
 
やがて社会人ともなり、自由に使えるお金が少しばかり増えると、
目についた欲しい本は片っ端から買うようになりました。

今なら大人買いとでも言うのでしょう。

積ん読が起きてしまう原因

 

ところが、ここに悩ましい状況が発生します。

どんな本も買うのは1分もあれば事足ります。
しかし、読み終えるには、少なく見積もっても2、3時間、
内容によっては優に10時間を超える。

購入と完読に要する時間の非対称

ここに積ん読なる現象が発生します。
他人事のように書いていますが、わたし自身のことでもあります。 

 
読まれないまま本棚に放置された本を
〈棚の肥やし〉のごとく言うひとがいます。

枯れ木も山の賑わいといったところでしょうか。

 
ここで多くのひとが積ん読に打ちのめされます。
読み切れもしないものをなぜこんなに買い込んでしまったのだろうと。

しかし、ここで積ん読に対する
気休めというかアドバイスをお教えします。

積ん読に対するアドバイス

 
本とは、一、二行どころか場合によっては、
タイトルや目次だけを読んでも、それなりに意味があるのです。

表紙のデザインや著者紹介だって構いません。

 
ひとの脳は、畏まって読んだものだけを
役立てるようには出来ていません。

ぼんやり眺めていたものや誤読したものが、
にわかに頭のなかで像を結び、役に立つ
場合があります。

雨降って地固まるともセレンディピティとも呼べるでしょう。

 
自分がなぜその本を買ったのか
理由を忘れてしまっていたなら、今度はそれを自分に問い直してみましょう

正解である必要はありません。
想像の産物でけっこうです。

そういう頭の使い方が
意外な閃きをあなたにもたらしてくれるでしょう。
 
目次だけ、あるいは著者紹介だけ読めばいいやと思えれば、
長らく視界から遠ざけていた積ん読にもアプローチしやすくなります。

そして、いったんアプローチできてしまうと、
今度は読むことにも抵抗がなくなります。
 
実際、目次読書や後書き読書といったものには、
気休め以上の意味がある
のですが、それはまたいずれお話ししましょう。

今日のところは、『積ん読恐るるに足らず』
ということだけ覚えていただければ十分です。

DNAパブリッシング株式会社
企画編集部 西藤 太郎

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